Poant

Sep 25 2009
Aug 04 2009
つまり、嘘か本当かわからん。嘘も本当になってるということやろうね。でもそれが正解なんよ。人間って、もうね、五十過ぎたらどれが実体かわからんことで出来上がっている。人に対してイヤな人やなって思われてさえなければ、すべてそれが正解なんよ。その人は頑張ってるの
Aug 02 2009
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Jul 27 2009
しかし、普通の失恋というのはただ残酷なものだ。人が人を捨てるというその本質が露出し、そしてその本質に耐えることできない空しい絶叫感だけが残る。物語が救済を志向するときそれは嘘になる。どんなに美しい嘘でも、もし、人が生きるなら、そうした嘘を生きることはできないのに。
Jul 16 2009
けど、本を読むということが、生きるということと近似しているなと理解できるようになるのは、中年からのことだと思う。
Jul 15 2009
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Q.先ほどのお話で、大学に行っていらしたのは主として友達と会うためだった、と答えていらっしゃいます。
坂本さんにとって友達とはどういう存在でしたか。やはり、大切なものでしたか。

それがですね、ぼくは現在友達と言える人はほとんどいないんですよ。
あなたがたにこういう質問をされて、初めて考えましたが、多分友達が必要なのは自分が確立していないからなんだと思います。

まず、自分にやることがあれば、時間がもったいなくて、わざわざ友達に会う為に一時間もかけて学校になんか行きませんよね。
それからブラブラ暇そうな友達を見つけて、そこからまたお茶の水なり四谷なり新宿に出かけていき、何をするのでもなくただダベっている訳ですから。ぼくにはもう一生、あんな時間の使い方はできないでしょう。

ですから、質問の趣旨とは異なりますが、ぼくの現在の気持ちは、友達が大切、ということとは異なります。

因みに現在のぼくの友達の定義は、ぼく(たち)に何らかの危険があった時に真っ先に電話をする人、です。
そうなると、ただしゃべっていておもしろい人とかは、おちます。もっと本当に頼れる人。そうするとほとんどいない。
ぼくの場合日本に何人か、アメリカに少し、ブラジルに少し、というように世界中でも何人か、でしょう。
本当に頼れるのは、一緒に暮らしている家族ではないでしょうか?
大学時代にダベっていた「友達」とは現在ほとんど交流はありません。あんなに毎日一緒にいたのに。
よく新聞とかで、エライ企業人とかの昔話しで友達の大切さ、なんて書いてありますよね。
ぼく、あんなの信じられない。高校・大学を通して一番「友達」と言えるのは、高校時代の現代国語の教師だった人です。
在学中から「友達」だった。学校の中では一応、先生・生徒のフリをしていたけど(笑)。

Jul 14 2009
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